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憲法による保障とは

今日はトラックを借りて引っ越しをしていた。トラックを発車させようと,車のバックミラーを確認したところミラーに見覚えのある男が映っていた。 伊藤塾の塾長として有名な伊藤真弁護士だった。 スーツ姿で颯爽と歩く長身の塾長は相変わらずカッコ良かった。 塾長は一時,弁護士登録は抹消していたが,最近は再び弁護士登録しているようだ。 同氏は,「清き一票は実は0.2票」というキャッチフレーズの議員定数配分の選挙訴訟の相次ぐ高等裁判所の違憲判決後の記者会見などで紙面を賑わしている。 私は,ミラーに塾長が映っているのを確認するや窓を開け「伊藤先生,選挙訴訟頑張って下さい」と声をかけたところ,デスクと段ボールを積みこんだトラックの運転席の若者から,いきなり頑張って下さいと言われたことにかなり驚いた様子で,あなたは誰ですか?と,きわめて普通の人の反応だった。 その後少しお話をすると,塾長は最後はナイススマイルで「ありがとう,頑張ります」と言って,颯爽と姿を消した。 さて,今日は日曜なので,8面のレビュー&プレビューから 「中外批評」  「権力は隠す,しかし・・・」 という論説委員の報道の自由と近時話題のネットでの国家機密の暴露問題に関する論評について。 論者は,既存メディアによる国家権力が隠した情報の報道の重要性について「博多駅事件」の判例を引用して, 「憲法がメディアの仕事を保障していることを明らかにしたという点で,大きな意味を持っている。」という。 また,西山記者事件をあげて, 「条件付きで守秘義務の壁に挑んで情報を得ようとする記者の行為は違法ではないと判断したのである」と指摘する。 さらに,NHKの記者の取材源の秘匿に関して,最高裁が「重要な社会的価値を有する」「特段の事情が認められない場合は,取材源の秘密は保護に値する」 と判断した近時の判例を挙げたうえで,既存メディアの社会的役割について説得的に論評している。 国家権力というものがいつの時代も隠蔽体質であることはその通りであり,その隠匿した情報を暴くことについて,メディアが重要な役割を担ってきたこともその通りだと思う。 しかし,私は常々思うのだが,報道にかかわっている方々の報道の自由に関する意見の論調は,決まって自分たちは特権階級なのだという響きに聞こえる。 国家機密を暴く役割を唯一持っているというような,よくある彼らの論調からすると,最近の尖閣諸島の映像の漏えいの問題についても,海外のウィキリークスの問題についても,これまでマスメディアがになってきた国家情報の暴露という役割を内部者が替わることとなった新たな動きは,まさに報道における地殻変動的現象であると思う。 従前,人的,物理的,経済的制約から一部の特権的な人しかできなかった情報発信が,今では誰でも可能となっている。そのことは,だれもが認めるところだろう。 しかし,今日の論説委員の論評によれば,ネットによる情報の発信を情報「流出」とマイナスな評価を持って位置づけ,既存メディアの文法に沿わないと,よくわからない論理を展開する。文法というレトリックを使うのは良いが,文法とは何ぞや,という説明が欠落している。 非マスメディアによるネットによる情報発信を,安直に情報「流出」と評価し,不明確な危険性を訴えるのは,またもマスメディアお決まりの特権階級目線の主張だ,と感じるのは私だけではあるまい。この論説委員のいう「文法」というタームが何を意味するのか良く分からないが,それが単に「長い時間をかけて作られてきた」ということだけが内実だとしたら,この論評にはあまり説得力がない。 さて,この論評でも触れられている報道の自由だが,これは憲法により保障されているという最高裁の判断がある。一方,取材の自由については,「憲法21条の精神に照らし尊重に値する」と判断されているが,これが表現の自由の一つとして憲法上保障が及んでいるのかについてはさまざまな見解がある。 マスメディアの方々からすれば取材の自由も当然憲法上の人権として保障されていると考えているのだろうが,「尊重に値する」という判例の言い回しははたしてどの程度まで,国家権力を拘束するのかが分からないところだ。 今日はとにかく話が長くなってしまったが,無理やりまとめると(読んでいただけばわかりますが,まとまってないです)私が今日思ったことは,人権として保障されているのか,憲法の精神に照らし尊重に値するというのは,実は大違いではないか,ということだ。 例えば,いくら憲法が国民に投票権を与えていたとしても,実際には1票の価値が,地域によっては5倍の差がついてしまっているという現実がある。このことについて,政府は選挙区割りを決定するにあたって,「国民の選挙権は重要です,国民の選挙権について尊重します」といっているのは,裏返せば,一人について一票を人権として保障しているわけではない,ということだろう。 今日は,伊藤弁護士にばったり遭遇したので憲法による保障ということについて考えてみた。 判例によれば,マスメディアは取材の自由を憲法上保障されているわけではないし,取材源の秘匿が憲法上の権利として認められているわけでもない。 それを人権として認めるべきか否かについて,私はそれなりの意見はあるが今日は書かない。 私が言いたかったのは,「なぜマスコミの方の表現の自由に関する声明や論評は,私たちは特権階級なんですという論調なのだろうか」ということだ。 さんざん書いて,こういうくだらない終わりかたなのです。 タツゾー  

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