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新成人の皆様へ

今日は成人式。 仕事、遊びその他諸々で今日は原宿、渋谷、銀座に出かけたがあまり新成人たちを見かけなかった気がする。これも少子化の影響か、単なる偶然だろうか。 日本は成年となる年齢も選挙権が与えられるのも二十歳からとなっていることと関係しているのかもしれないが、二十歳の人たちがあまり「大人」っぽくみえない。かくいう私も、自分の成人式のころを思い出すと、これはもう手の付けようのない「子ども」だったと言ってよい。今日は自分のことは完全に棚に上げて「オトナ論」を語ることにする。 1990年代以降大学進学者は爆発的に増え、また大学進学をしなくとも短期大学、専門学校に通う人々が大多数となり、成人式に参加する新成人たちの大半は学生となった。 昨今、新聞では高卒者の就職内定率の低下や、大学生、短大生の就職内定率の低さが社会問題として多く取り上げられている。景気の後退から企業が採用を縮小するのは仕方のないことだし、既存従業員のリストラを選択するまえに新卒採用を減らすことには合理性がある。この手の問題にかんしては、各企業ごとに経営実態、財務環境が異なるので一概にいうことはできない。今年新たに成人となった若者は、これから厳しい就職活動をすることになると思われるので、アドバイスを述べたいと思う。これからの話が誠に荒い議論であることや、そもそも、このブログの読者に新成人となった人などいないことは承知のうえで、新成人たちにお祝いを兼ねて励ましの言葉を送りたい。 成人式といえば、毎年若者が市長や来賓ゲストの講演も聞かずにおしゃべりをしたり、携帯で通話をするなどマナーの悪さが報道される。携帯電話という現代機器を小さいころから使いこなし携帯とともに生活をしてきた世代と携帯電話に触れたのは大人になってからという世代の人間とは、携帯電話の使用に関する認識が異なるのだと思う。 さて、本題に入ると、私が成人になったころと比べても、今年成人となった人たちは、さらに将来への不安を抱えているのではないかと思う。したがって、今年の新成人たちは、数年前の新成人たちに比べばか騒ぎをしたりはしないのかもしれない。 私が大学生のころアジア諸国の留学生、とりわけ中国や韓国の19歳や20歳くらいの学生と話をするたび、「なんて大人っぽいんだ」と思うことがよくあった。 また、発展途上国で貧しい一家のため15歳くらいから働き、弟や妹たちの世話をするという若者をテレヴィなどでみると顔つきから大人感が漂っていると感じることがある。早くから相撲界に入ったモンゴルの力士たちの顔つきも同様だ。おそらく彼らは、家庭がそれほど裕福でないことから(あるいはその他の志をもって)十代のうちから働き始めていることにより二十歳前にして精悍な顔つきになっていったのだと思う。逆に私が本日銀座の街角であった高級ブティックに出入りしている中国人富裕層の一家の二十歳そこそこと思われる兄弟は、あまり大人感を感じなかった。 私の成人式の思い出を話すと、高校の時に結婚をして2児の父親となっていた小中学校の同級生に成人式で再会したときは、彼はとてもたくましい男になっていておよそ同じ年齢の男には見えなかった。私は、自分の子供っぽさに恥ずかしくなったものである。 二十歳になったとき、その時「おとな」っぽいといえるか否かは、本人の意識次第だ。家が裕福でまだまだ独立する必要なんてないと考えている新成人の顔つきは大人っぽくないが、すでに家族をもったり、仕事に励んでいる人や、親族の援助ではなく自らアルバイトなどして学費を稼いでいる人たちの顔つきは、そうでない人たちとは明らかに違う。景気後退に伴い年々学生への仕送りの金額は減少し、現在アルバイトをしない学生は少数派というが、このような現象自体はどちらかと言えば教育上望ましいものだと思う。アルバイトで勉強ができないというのは大学生のごく一部であって、そもそも日本には学部段階でそこまで学業に専念させる大学など存在しない。学生はアルバイトにより大学では得られない社会勉強をしている。 そういう意味では年々、大学生の親の世代の所得が縮小し、子どもへの仕送りが減って、学生が学費を自分で稼ぐようになっているという傾向は私は日本社会にはプラスだと思っている。このことは自分の就職のために研鑽をつむ学生が増え、のほほんと遊んで暮らしていたかつての典型的な日本の大学生に比べればよっぽど良い傾向である。現在就職活動で苦しい思いをしている若者は、そのような経験をせずに楽に就職してみたは良いが、社会人としての気構えなく社会に入っていってしまった先輩の大卒者より、よっぽど競争力の高い人材となっていく可能性を秘めていると思う。 これまで日本の大学生は親が裕福でそれに甘えすぎたため、二十歳ではおよそ大人にはなりきれなかった。しかし、今年二十歳になった若者の親の世代や、これから二十歳になる子供を持つ世代は、10年前とは異なりいつまでも子どもを養うことのできる経済的余裕がなくなってきている。そういう意味で私は、これから就職活動に臨む今年の新成人たちは、かつての新成人(私やその前の世代)にくらべ大人度が少し高くなっているのではないかと思っている。少なくとも私が成人した時に比べれば、大人っぽい人たちが多いと思う。 さて、本日の注目の日経新聞の記事は19面(教育)から 「知情意の総合力」育め  成人の日 若い世代の成長応援 今日は、慶応大学の前塾長であり、最近NHK次期会長候補にも挙がって大活躍の安西祐一郎氏が成人の日にちなみ、若い世代の教育の重要性を論じ、若い世代を大人世代が応援すべきだと訴えている。 ここでの安西氏の立論自体はもっともなことを言っていて、いつもこの人の話は素晴らしいと思うわけだが、私の今日の主張からすると、こういう大人世代の若者支援的なスタンスには賛成できない。 このような、豊かな日本時代の若者庇護的な教育方針では、いつまでたっても大学生は大人になれない、大学生の大人化には繋がらないと思う。日本の二十歳が他の途上国の同年代と比較し大人度が低い原因はここにある(そもそもそんな統計があるのか、という突っ込みはしないでいただきたい)。 安西氏の言うような後輩を支援するという理念は、誠に素晴らしいことではあるが、大人がいつまでも後輩世代、学生の手助けをするということが本当に学生たちのためになるのかについて疑問がある。むしろこれからは、若者は先輩世代、高齢世代と競争をしていく必要さえあるのだ(中高年層が容赦なく若年層と闘えという意味ではない)。 安西氏がどのような学生生活を送っていたのかは知らないが、まず間違いなく彼の世代の大学生の多くは、苦学生が多かったはずだ。若者の支援は必要であるし、それを否定する気はないが、日本の国際競争力の低下はまさに90年代の我が国の大学生たちの温室育ちが原因であり、2000年以降の中国・インドの発展は、10代の若者たちの早期の大人化が達成したものであると思っている。そういう意味で、私は、10代の若者世代の早期大人化が今後の日本の教育のキーワードだと考えている。 さて、最後に本日新成人となった若者にメッセージ(誰一人として閲覧していないだろうけれども)。 大学の同級生には、サークル活動やデートを満喫している友人がいるかもしれない、高い服やバッグをもっている友人がうらやましく思えることもあるでしょう。 しかし、アルバイトが忙しくてサークル活動ができない人も、高いブティックの服やブランドのバッグが持てない人も、数年後たくましい社会人になって同年代から憧れの存在になる日はやってきます。きっと今苦労している新成人の皆様は、数年前の温室育ちの新成人より精悍な顔つきで大人にみえます。 本日成人となった皆様、本当におめでとうございます。 私が渋谷公会堂でこんな話をしたら、会場では携帯の着信音と新成人たちの電話で話す声が響き渡ることだろう。 タツゾー

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